アーカイブ:2015年8月

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『はいくないきもの』トーク〈2〉


(撮影/黒田昌志)

クレヨンハウス主催の「夏の学校」でおこなわれた
皆川明さんとの対談の模様を、3回に分けてお送りしています。
本日は2回目。それではどうぞ。
(スタッフ 川口)

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不思議な生きもののひみつ

皆川 絵を描くときにぼくがイメージしていたのは、それぞれの生き物が、なにかひとつのことに強く興味を持って、それをずーっと追いかけていくうちに、体がその姿をなんとなくまとっていく、クセが形に、その生き物の形になっていく、ということなんです。
たとえば、花が大好きな生きものがだんだん花粉の形になっていくとか、「好きなものがその人を表す」ように、クセが生き物の命にだんだんくっついてくる――そんなことをイメージしながら描いたんです。
子どもたちが、自由に自分の好きなことをずっと追っかけていくような、そしてそれが他人とちょっと違っていても、「かえってそれがいいんだよ」っていうようなことを頭でイメージしながら、変な姿になっていくんだけれど、「変だ」という意識すらもう無意味になっていくといいなあ、なんて思って描きました。

谷川 なるほど。ちゃんと理論的裏付けがありました(笑)。

皆川 (笑)。

谷川 だいたい学校教育っていうのは、意味のあることばっかり教えますよね。意味のあることを覚えていかないと、大人になって社会生活は送れないわけだから、その大筋はもちろん正しい。でもその中に、この頃少しノンセンス、無意味なものっていうのが国語教育の中でも入るようになってきてね。それはやっぱり意味に対する一種のデトックス、解毒剤になると思うんです。今の人間社会は、ほんとに意味に縛られて、意味に毒されている部分があるので、ときどきそういうノンセンスで、人間の生命力の広がりみたいなものを感じることも大事じゃないかなと思います。

 

「はいくないきもの」の絵はこわい!?

皆川 でも、この『はいくないきもの』を描いたとき、この絵を見て、子どもたちはきっと「ちょっと変だな」とは思うけれど、「こわい」とは思わないんじゃないかなあとぼくちょっと思ったんですね。「こわい」という意識って、いろんなことを知った上で生まれてくるから。「変だな」って笑っていたのが、あるときから「これは象みたいだけれど象じゃないんだ!」と気付く。象を知らないときには比べる対象はないけれども、象を知ったときに初めて、「これは象とは違う生き物だ」とわかるわけですよね。知識が生まれたときに空想が違う見え方になったりするのかなあ、と思って。

谷川 それはありますね。ぼくは「こわい」という感情は、すごくなんか、子どもにとってはじまりの感情だっていう気がするんです。まず、なんか見慣れないものを見たら「こわい」と感じて、そこから違う感情が広がっていくみたいな……。だからぼくがこの絵を最初に見て「こわい」と思ったのは、まず「おもしろい」ということがあるわけだから、「こわい」って言えるわけでしょう。子どももきっと、そういうふうに感じてくれると思うんですけどね。

 

「はいく」=ヒッチハイク×俳句

皆川 この絵はもともと、旅をしながら自分の姿が変わっていく様子を描いていたんです。何かにこだわって導かれる。たとえば鼻がびよーんと伸びているのは、風の匂いをかぐのが好きで飛んでいくものが、だんだん鼻が伸びていって風の匂いを嗅ぎやすくなったりとか、そんなことを考えて。谷川さんが五七五の「俳句」と「ヒッチハイク」をかけてタイトルをつけてくださったんですよね。

谷川 はい。ぼくのアメリカ人の友人の詩人で、「ヒッチハイク」っていう俳句を書いていた人がいるんですよ。ハイクっていうのはハイキングと俳句をかけているんですが、それもちょっと意識しました。

皆川 言葉を書いていただいたのはすごく短い時間でしたよね。

谷川 そうですね、ぼくもわりと即興的に書けた。

皆川 このタイトルがぽーんと来た時に、うわあ、さすが、ダブルミーニングにちゃんとなっていて面白いなあと思いましたね。

 

「社会内存在」と「宇宙内存在」

皆川 テキスタイルの図案を描くときも、ただ花を描くっていうことはできないんです。やっぱり花がどんなふうに咲いて、風がどんなふうに吹いてるかっていう情景を頭の中で一回こう、絵にしてみるみたいなところがあって。だから、ぼくにとっての絵というのは詩に近いのかなあと思います。

谷川 なるほどね。

皆川 谷川さんの詩は、言葉としてはひとつひとつ固有の意味がありながら、その詩を読んで読み手が抱く情景って、一人ひとりほんとに違っていて、それぞれの記憶に飛んでいけるものですよね。

谷川 ああ、詩ってそういうところがありますね。

皆川 たとえば、谷川さんが30代の頃に書かれた詩を、ぼく自身が30代の頃に読んでいるときに、時代背景はまったく違うはずなのに、何か心持ちの共通するところがあったり……。

谷川 ぼくは相当時代というものに強く影響されていて、時代によって動かされているところもいっぱいあると思うんだけれど、なんか自分の一番の基本は、時代と関係ないんじゃないかと思っているところがあるんですよね。堅苦しい言葉でいうと、ぼくは人間というのは「人間社会内の存在」であると同時に、もっと社会を超えた、自然とか宇宙とかに生きているものだから、「宇宙内存在」でもあると思うんです。だから、人間は「社会内存在」と「宇宙内存在」の二つを融合させて生きているような気がして。
ぼく、ともするとその宇宙内存在のほうにいっちゃいたい人なんですよ(笑)。だから今の安保騒ぎとかそういうのを聞いていると、そっちのほうに逃げちゃう傾向がありますね、どうしても。まあ、そういう視点も必要なんじゃないかな。それで現実的な責任を逃れることはできないんだけれど、わりと大きなスケールの中で国や社会を見ることも大事なんじゃないかと思うんですよね。

皆川 そうですよね。詩を読んでいると、現実を表現するっていうより、言葉によって空想の世界に飛んでくれる。でもそれはただ空想だけがあるのではなくて、現実の世界から空想に飛んでいるんですよね。この、「現実から空想に飛ぶ」っていう感覚が、ぼくは詩という言葉が持っている力だと思います。

谷川 どんなに荒唐無稽なファンタジーでも、単なるファンタジーでは面白くないっていうのは、やっぱりそこに現実生活のリアリティが感じられないからだと思うんですよ。すぐれたファンタジーというのは、詩でもそうなんだけれど、どこかに毎日の普通の生活でわれわれが感じているリアリティがありますよね。そこがすごく不思議だなと思います。

皆川 実生活の記憶と、自分でもまったく理由がつかないような想像の世界と、なんかその2つの間の橋渡し的に詩があるような、そんな気もしますね。

谷川 日本語の「詩」という言葉には、言葉になった「詩作品」という意味と、それからもっと漠然とした「詩情」「ポエジー」という意味と、両方あるでしょう。それを混ぜて使っているから、時々誤解されたり曖昧になったりするんだけれど、詩作品ではない、言語になっていない「詩情」というのはどんな人間にもあって、それが今の世の中、すごい拡散していて我々を覆っている、という感覚がすごくあります。だから文字になった行分けの詩作品を読まなくても、コミックスとか映画とかテレビとか、それこそファッションとか、そういうものにいっぱいポエジーがあるから、みんななんかそれで満足しているみたいな感じがするんですよね。だから我々はみんな、詩が書きにくくなっている、みたいな。ひがんでるんですけどね(笑)。

皆川 僕はやっぱり、谷川さんのあの全集を何度読んでもその時々で感じ方が違うので、自分の状況が変わっているんだなあということがわかったりしますね。詩のことば自体は常にそこにあって、自分がどんどん変わっているから、詩と対峙するときの感じ方の違いによって自分がいろいろ、環境とか心情が変わっているんだなあというのが感じられて。定点に詩があるというのは、すごくおもしろいなあと思います。

谷川 ああー、そういうふうにとってもらえると、なんか怖いような感じもしますけど(笑)。そんなもんじゃないはずなのに、みたいな(笑)。ただ不思議なのは、ぼくが18歳くらいのときに書いた『二十億光年の孤独』っていう最初の詩集があるんだけれど、あれが文庫になって、いまだに若い人が読んでくれてるっていうのがね、もちろんすごくうれしいんだけれど、なんか不思議な気がするんです。その当時とは宇宙の知識なんか全然変わってるわけでしょう? それでも読まれているっていうのは、そこにさっき言った人間の現実の二重性というか、時代によって変わらない、「宇宙的な文脈での自分」というものがきっとあるんだろうなと思って。われわれは、どうもそういうところで一番仕事をしているような気がしますね。

(対談おわり、次回は質疑応答の模様をご紹介します!)

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『はいくないきもの』トーク〈1〉

(撮影/黒田昌志)

8/2(日)、クレヨンハウス主催の「夏の学校」に出演された俊太郎さん。
今回の対談のお相手は、絵本『はいくないきもの』の共著者、
ファッションデザイナーの皆川明さんです。

450名を超えるお客さまが集まった会場は熱気むんむん!
『はいくないきもの』の朗読スライドを交えながらおこなわれた対談は、
お二人の創作のひみつやこの物語の生まれた背景などがよくわかる、
たいへん充実したひとときとなりました。

ごく一部ではありますが、その模様を3回に分けてお届けします。
(スタッフ 川口)

  •  *  *  *「あかちゃんから絵本」シリーズ谷川 クレヨンハウスの「あかちゃんから絵本」シリーズっていうのは、いわゆる絵本作家ではない絵描きさんや造形作家と組んでやりたい、というぼくの希望で始まったシリーズなんです。
    基本的に先に絵があって、それに言葉をあとからつけるスタイルで毎回作っていて、絵本の絵描きさんではない方にお願いすることが多い。だから、だいたい絵がくると茫然自失するという状況で始まるわけです(笑)。ストーリーのある絵がくるわけでもないし、わけのわからない、妙な形がいっぱい並んでいるようなものがきたりする。でも不思議なことに、原画のカラーコピーを床に広げて眺めていると、なんだかわからないけれど言葉が浮かんでくるっていう、そういう書き方でずっとやってきているシリーズなんです。
    この、皆川さんとの『はいくないきもの』もそうだったんですよね。

    皆川 ぼくは今回、絵を描くまでにすごく時間がかかってしまって。谷川さんの全詩集というのは、ぼくにとっては「バイブル」みたいに旅先にも持っていく、そんな本だったんですね。1冊は家用、1冊は持ち歩き用というふうにして。

    谷川 理想の読者ですね~。

    皆川 そうですね(笑)。ぼくの中で谷川さんの存在はあまりに大きかったので、ましてや「絵から先に描いていい」なんて言われると、どんなふうにしよう、って思って……。絵は、手を動かせば絵になるけれど、谷川さんに言葉をのせてもらう絵っていったい何だろう?と考えすぎてしまって。

    谷川 ええっ! そんなこと考えてくれてたんですか。出来上がった絵は、全然そんなこと考えていないような絵だったけれど。なんだこれぇ!?みたいな(笑)。

    皆川 ははは。まあでも、最終的には「そんなこと考えちゃいけない」と思って(笑)。

    谷川 そうですよ、ほんとに(笑)。

    皆川 それでもう、最後ほんとに一晩で朝まで描いて仕上げました。

    谷川 徹夜で描いたんですか?

    皆川 そうなんです。わあーって気持ちをのせないと、いろいろと考えてしまうので、これはもう、「今日描くぞ」って決めて、朝までに全部描いてみようと思ってやりました。出来上がったものは、ストーリーというよりは不思議な動物がたくさん、みたいな感じで(笑)。

    谷川 そう。ぼく最初に見たとき、ほんとにこわかったですよ(笑)。子どもがこわがるんじゃないかな、と思ってさ。これ、紙に描いたものじゃないんですよね。

    皆川 はい。アクリル板に描いたんです。裏から背景を塗って、表に動物のモチーフを描いて。背景を裏から描くと、動物のモチーフの裏側にもうっすらと背景が映り込むので、それが面白いかなあ、と。アクリル板ってつるつるしているので、筆のタッチがすごく残りやすいんです。

    谷川 なるほどね。これはほとんど即興的に描いたわけ? ほとんど手直ししないで。

    皆川 はい。ふだん洋服の図案を描くときも、ほとんど下絵はなくて、頭の中に浮かんでいるものを描くんです。

 

ノンセンス「はいく」誕生

谷川 とにかく、皆川さんからこういう絵がいきなり届いたわけですね。で、茫然自失して(笑)。どうしようかって考えているときには全然理性では考えていないんです。なんかもっと自分の意識下のもやもやしたところで考えているらしくて。
ぼくは『マザーグース』の翻訳をだいぶ前にしているんですが、マザーグースって脚韻、頭韻みたいなのを踏んでいて、声に出して調子のいい言葉で書かれているんですよ。音として面白いと、意味にそんなにこだわらずに楽しめちゃうんですね。そこから、七五調はどうかと思ってやってみたんです。そうしたら、わりと短い言葉のほうがよかったので、自然に俳句みたいになってきた。日本人の体の中には七五調というのがしっかり入っちゃってるから、小さな子どもでも七五調だとなんとなく調べが出てきますね、リズムと同時に。だからそういう俳句がいいんだけれども、この絵に対してあんまり意味のある俳句にしても合わないんじゃないかと思って(笑)。

皆川 そうだったんですね。

谷川 ぼくはずいぶん前からノンセンスっていうのにすごく惹かれているんです。ノンセンスはやっぱり意味に対抗するすごい存在感のあるものだから、この化け物みたいな絵に対しては絶対ノンセンスでいきたい、って思ったんです。ただ完全にノンセンスにしてしまうのもつまらない。そこで、一行だけ意味のあるところを入れてみたんです。そうしたら、意外に自分でも気持ちが乗って、訳のわかんない俳句がすっとこの絵についていった、というわけなんです。最終的には、文字の配置とか大きさなんかも皆川さんが考えてくださいましたよね。

皆川 はい。文字の大きさを変えたり、ちょっと傾けたりっていうのは、谷川さんのこの言葉を、親御さんや子どもたちが読むときに、こんな抑揚で読んだら面白いかなあとか、または自由に、自然と抑揚がついてしまうような並べ方が面白いかなあ、なんて思って。

(つづく)

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「情熱大陸」見逃し配信と書籍紹介

先日の「情熱大陸」いかがでしたか?
ご覧いただいた皆様、取材にご協力いただいた皆様、
ありがとうございました。

「見逃しちゃったよ!」という方に朗報です。
8月23日(日)22:45まで、こちらの「見逃し配信」でご覧いただけます。
「情熱大陸」(MBS)見逃し配信は、こちら

番組内では俊太郎さんの作品がいろいろ紹介されていましたが、
取り上げられていた書籍を、改めてご紹介します。

【絵本】『うんこ』(絵=塚本やすし、ディスカヴァー・トゥエンティワン)
リブロ池袋店での朗読の模様が放送されていました。

 【詩集】『私』(思潮社)
番組内で朗読していた「自己紹介」はこの詩集に収録されています。

【詩集】『あたしとあなた』(ナナロク社)
番組内でデザイナーの名久井直子さんがコメントしていたのは、
青い紙の最新詩集『あたしとあなた』。
篠原紙工さんでのトークショーの模様が紹介されていました。

【詩集】『よしなしうた』(青土社)
朗読した詩「ゆうぐれ」が収録されているのは、こちら。
朗読会でもよく読まれる作品です。

【詩集】『ごめんね』(ナナロク社)
1970年の大阪万博のときに書いた詩「魂のために」を収録。
「夏のポエメールBOX」のために限定制作された詩集ですが、
俊太郎さんも気に入っている1冊。もしかしたら一般発売されるかも!?
ADは寄藤文平さん、詩集の表紙のおばけの絵は和田誠さんです。
(左が詩集、右は詩集やその他のグッズが入っている特製BOXです)

【詩集】『今日まで そして明日から』(写真=田淵章三、佼成出版社)
B&Bでおこなわれたイベントの模様が流れていたのはこの本。

【絵本】『せんそうしない』(絵=江頭路子、講談社)
戦後70年のこの夏に刊行され、話題を呼んでいます。
長く読み継がれる1冊になりそうです。

以上になります。
俊太郎さんは8月末まで夏休み。
(でも今年は結構、休みの間もいっぱいお仕事されてる気がします…)
しっかり充電して、秋以降、また朗読会やトークイベントなどで
全国各地に出没する予定です。
ぜひ会場でお会いしましょう!

(スタッフ 川口)

 

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『今日までそして明日から』PV

昨日の「情熱大陸」、たくさんの方がご覧下さったようで、
ありがとうございました。

番組では詳しくご紹介できなかったのですが、
下北沢の書店B&Bでの
サイン会の模様が映っていたのが、
『今日までそして明日から』(写真=田淵章三、佼成出版社)。
編集担当の村上さんから、すてきなPVが届きました!
トークショーでお話しされていた内容も少し紹介されています。
ぜひご覧ください。

『今日までそして明日から』動画はこちら。

 

(スタッフ 川口)

 

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賞と読者

賞をいくつも戴いているのに、こんなこと言うのはどうかと思うけど、ぼくはどちらかと言えば賞よりも読者のほうが大事だと思う。でもまた、賞をもらうと読者が増えるということもあるから、やはり賞も大切だ。

新刊の詩集を読んでいて、あ、この詩集はできるだけ沢山の人に読んでもらいたいと思えるものに出会うと、心が弾む。今回珍しく心が弾んだのがこれ。四元康祐『現代ニッポン詩(うた)日記』澪標刊。

何よりも具体的で面白い、私たちと一緒にこの時代に生きている詩。笑ったり、しんみりしたりしながら読んだ。特に短い散文と詩がペアになった山陽新聞連載のものは、現代詩のスタイルとして新鮮。 (俊)

* 四元康祐『現代ニッポン詩日記』(澪標) 詳しくは、こちら

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