アーカイブ:2013年8月

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〈詩〉みち


 

みちがどこまでもつづいているんだ
ぼくはそのみちをあるいてゆく
ゆくてにあかちゃけたおかがみえる
みちがのぼりざかになって
のぼりきるとなにがあるのか

 

のぼりきってみえるのはやはりみち
のぼりざかくだりざかがうねって
みえるのははるかに
どこまでもおわらないみちだけ
しらないあいだにぼくのからだに
だれもしらないうたがうまれて
こころがだまってうたっている

 

みちがぼくをどこへつれてゆくのか
ぼくはもうきにしない
そらにわをえがきながら
いちわのとんびがついてくる
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〈詩〉むかしのしょうじょ

 

いまのしょうじょではありません
あたしはむかしのしょうじょです
いまとおなじかしのきのこかげで
あたしはびんぼうにんのことをかんがえる
びんぼうにんはかわでさかなをつる
おしろのまどからきこえてくる
ちぇんばろのおとにみみをすます
むしにさされたうでをかきむしる

 

むかしのまじょはもうみんなあのよです
でもものがたりはいきのこる
あたしたちをこわがらせるために

 

あたしのひらたいちぶさは
むかしもいまもひらたいけれど
こいびとはきにせずにあいしてくれる
あたしはうちへかえって
ほつれたれーすをつくろうゆめをみます
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〈詩〉えき


 

どんなえきでもいい
ふつうのえきでぼくはおりる
おりてまわりのけしきをながめる
うみならとおくにしまがみえる

 

そこへいってみたいきもちになって
でもそこへはいかない
またべつのえきへいってぼくはおりる
そこがまちならまちをあるく

 

おおきいこがわざとぶつかってくる
ぼくはけんかはしない
がらすまどのむこうでおんなのひとが
ふくをぬいでいる

 

またちがうえきへいこうとして
もうそんなことはできないとわかった
ぼくはまだこどもだから
おとなのせかいのそとにいるから

 

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〈詩〉どろ


 

おれしばらくどろになるといったら
アネはどうぞといった
かきねのそとをひとがふたりとおっていく
あのひとたちもしあわせになるといいなあ
おれはこれでもしあわせだから
これはくちにだしていったことではない
だっておれはいまどろなんだもの

 

アネはいちどけっこんしてりこんした
にわのどんぐりのきをみてぼんやりしている
どんなきもちかわからない
チチとハハはなかよくかいものにでていった
たぶんいきてかえってくるだろうとおもう

 

とつぜんアネがいった「かぜたちぬいざいきめやも」
なんのことかわからない
にわをのらねこがよこぎっていった
おれはとりあえずしあわせなどろです

 

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岩崎さんのコトバ

詩の形しているコトバを読んで、それが詩であるかどうか議論する必要があるのかどうか、ぼくは疑問に思うようになってます。最近感動して珍しく愛読者カードまで書いてしまった、岩崎航の『点滴ポール』から。

 
くるしいも波

かなしいも波

たのしいも波

うれしいも波

だから漕ぎ続けてる

 
著者が三歳から筋ジストロフィーで、常に人工呼吸器を使っている事実を知らなくても、このコトバにひそむ力と知恵に打たれる。この五行は〈詩〉を書こうとする意識を超えて、コトバが〈生〉からじかに生まれてくる、その現場を感じさせます。 (俊)

 

*俊太郎さんからの愛読者カードは、ナナロク社ブログでご覧いただけます。
*『点滴ポール〜生き抜くという旗印』(岩崎航・著/齋藤陽道・写真)の詳しい紹介は、こちら

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