立ち話

敵?

散文を書くのは昔から億劫だった、今ではますます億劫だ。物事はなんでも一義的に割り切れるものではないと分かってきたからか。リアルはいつも多義的だから、言葉を書くのなら詩の形のほうが書きやすい。ので、これからは立ち話に詩が紛れ込むのを許して下さい。 (俊)

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敵?


もっとも身近な私の敵は私だが
身内にひそんでいるから
見分けるのが難しい
敵は味方と溶け合って
生きているものらしい
原生動物みたいに

敵はもちろん私の外にもいる
誰かがレッテルを貼っている敵は
分かりやす過ぎて
本当の敵かどうか怪しい
悪と善が縺れ合っているのが
敵というものだから

メディア上の情報だけで
敵を特定していいとは思わない
だが表に出ない利害が隠れている情報を
たとえ知ったとしても
それを読み解く力は私にはない
いっそ敵という観念を削除したいが

それには自分の死を覚悟せねば

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賞と読者

賞をいくつも戴いているのに、こんなこと言うのはどうかと思うけど、ぼくはどちらかと言えば賞よりも読者のほうが大事だと思う。でもまた、賞をもらうと読者が増えるということもあるから、やはり賞も大切だ。

新刊の詩集を読んでいて、あ、この詩集はできるだけ沢山の人に読んでもらいたいと思えるものに出会うと、心が弾む。今回珍しく心が弾んだのがこれ。四元康祐『現代ニッポン詩(うた)日記』澪標刊。

何よりも具体的で面白い、私たちと一緒にこの時代に生きている詩。笑ったり、しんみりしたりしながら読んだ。特に短い散文と詩がペアになった山陽新聞連載のものは、現代詩のスタイルとして新鮮。 (俊)

* 四元康祐『現代ニッポン詩日記』(澪標) 詳しくは、こちら

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「うりずんの雨」

岩波ホールで「沖縄 うりずんの雨」を観た。知っているつもりの琉球/沖縄の過去、現在、未来について啓蒙してくれる映画だが、活字ではない肉声と映像の力をあらためて感じさせられた。

70年前の沖縄での戦争体験を語る生き残ったアメリカと日本の兵士たちは、みな90歳を越えている。その声と口調の静かだが深いリアリティに圧倒される。劇映画とは次元が違う記録映画のパワー。

1952年ミルウォーキー生まれの監督、ジャン・ユンカーマンが上映後に登場した。いい日本語を話す。小室等の音楽に感謝していた。ぼくはユンカーマンの構成と編集の切れ味に感動。東京では7月いっぱい上映中。絶対のおすすめです。 (俊)

*映画「沖縄 うりずんの雨」岩波ホールでの上映情報は、こちら
*その他、全国会場を巡回します。くわしくは映画公式ホームページをご覧ください。 

 

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